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札幌高等裁判所 昭和53年(ネ)172号 判決

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人

川村武雄

被控訴人

乙野花子

右訴訟代理人

千葉健夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人は、昭和五一年一二月三日北海道苫前郡○○町長に届出された被控訴人と控訴人との協議離婚は、被控訴人の離婚意思を欠く無効なものであると主張するので、右離婚の効力について判断する。

1  〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

(一)  控訴人(昭和一九年四月二三日生)は、昭和三七年頃○○市の澱紛工場で働いていた当時、たまたま同工場に出稼に来た被控訴人(昭和一一年一二月二四日生)と知合い間もなく同棲するようになつたが、控訴人が未だ成人に達していなかつたこともあつて婚姻届をしないまま同棲生活を続け、約二年経過後の昭和三九年一二月一四日婚姻届をした。控訴人は、一時営林署作業員として稼働していたが、その後会社勤務を経て昭和四一年に○○町役場水道部の吏員に採用され、昭和四七年八月同町役場○○支所に転勤となり現在に至つている。

(二)  その間、控訴人は、被控訴人との間に長女幸子(昭和四〇年八月一三日生)、長男正幸(昭和四二年三月三〇日生)、二女優子(昭和四三年四月三日生)をもうけたものの、同棲生活を始めた当初から長女出生頃までは夫婦仲は円満を欠くことが多く、それが原因で控訴人がよく無断外泊し、被控訴人も真剣に離婚を考えたこともあつたが、その後子供の相次ぐ出生で育児に追われるうち子供の将来を慮つて不満は抱きつつも離婚を考えないようになつた。一方、控訴人は、○○支所に転勤後、同じ職場の同僚女性と集金に出かけたこと等から被控訴人に二人の仲を疑われ、また不規則な帰宅時間等のことで愚痴を言われることが多くなり、次第に被控訴人を疎ましく感じるようになつていた。

(三)  昭和五一年一一月初頃、控訴人は、仕事を終えて帰宅したところ、被控訴人が当時勤めていた鰊加工場から未だ帰つていなかつたので、被控訴人や子供のためを考え炊事、洗濯等の家事をした。ところが、帰宅した被控訴人が余計なことをしたと不平を言つたため、それが発端となつて再び喧嘩になつた。その喧嘩が充分納まらない間に、○○市内に居住している控訴人の実母から控訴人方に、控訴人ら家族と一緒に生活したいという電話がかかつて来たので、被控訴人としては当時の夫婦仲から控訴人の実母を加えての円満な同居生活を送る自信がなかつたので右母親の申出を断つてしまつたため、このことが一層控訴人の反感を招く結果となり、同年一一月五日、控訴人は、被控訴人に対し、「来春三月頃控訴人が○○町に転勤するまでの間冷却期間を置く意味で別居する。もしこれに応じなければ、生活費を送らないし、役場勤務も辞める。」等と強硬に被控訴人が即刻○○町に転居して控訴人と別居することを要求し、更に離婚の届出をする意思はないが、自分の気持を整理するために必要であるとして、予め用意していた離婚届書の所要欄に被控訴人の署名押印を要求した。これに対し被控訴人は、離婚はおろか別居する意思もなかつたが、控訴人の激しい態度に抗し切れず、結局来春まで別居することに同意し、控訴人の言を信じて離婚届書の「届出人」欄に署名押印した。

(四)  こうして被控訴人は、翌六日、表向きは体の弱い子供に病院通いをさせるためとして、下の子供二人を連れ○○町内の借家に転居した。その際、被控訴人は、タンス、子供用ベッド、ストーブ、台所用品等主要な家具、家庭用的類を持運んだ。別居後の被控訴人らの生活は、燃料費にもこと欠く状態で寒い毎日を過し、そのうえ子供の通学にも不便であつたことから、控訴人方に帰りたいと思い始めていた矢先の同月二六日、被控訴人が控訴人方に残して来た長女の件で控訴人に電話したところ、控訴人から、近々勤めを辞め○○市の母の許に帰る心算である。また被控訴人とは離婚したいとの旨を聞かされて驚き、控訴人の被控訴人に対する気持が離反し夫婦の間柄が極めて冷却してしまつたことに気づいて急遽○○町内に居住する実母の乙野とめに相談したところ、同女のところにも先刻控訴人から同趣旨の電話があつたということで、直ぐ控訴人方に行つて控訴人に謝まり、離婚を思い止まつてもらうべく説得することになつた。

(五)  そこで、被控訴人は、実母及び知人の山本キク、中山タキを同道して翌二七日○○町を発ち、同日昼頃控訴人方に到着した。控訴人は、被控訴人らの顔を見るやいなや「今まで何度も夫婦関係の改善のため被控訴人の母に来てくれと言つても来なかつたのに、今頃になつて来るとはどういうことか。」等と非難の言葉を浴せ、続いて一方的に被控訴人の態度を難詰した。これに対し被控訴人は、特に弁解や反論もせず、ただ「悪かつた、許して欲しい。」とこれまでの至らなかつた点を心底から詫び、同道した者達も控訴人に向つてこもごも離婚を翻意するよう説得した。しかし、控訴人は、これらを全く聞き入れず、あくまでも離婚する旨主張して譲らなかつた。かくて当日は話し合いがつかなかつたため、被控訴人ら一行は同夜控訴人方に泊り、控訴人は勤先に宿泊した。

(六)  翌二八日午後から再び話し合いを始めたが、前日同様の経緯を辿り、控訴人は、被控訴人らの懸命の懇願にも拘らず、頑として離婚すると言い張り、用意した離婚届書に署名するよう要求し、これを拒み続けた被控訴人の態度に激昂した余り、突然テーブルの上にあつたみかん、コップ、茶碗等を手当り次第に被控訴人や母に向つて投げつけ、なおも側の椅子を振り上げようとしたが、山本キクに制止された。控訴人のかかる乱暴な振舞いは、被控訴人が署名を承知しない限り到底収まりがつきそうもなく一層険悪な雰囲気になることが予測されたので、山本キクは、右事態を何とか回避しようと窮余被控訴人に対し、控訴人には真実離婚の意思はなく離婚届が提出されるはずはないから、この場を一先ず収める意味で離婚届書に署名してはどうかと勧めた。これに対し被控訴人としても、これ以上署名を拒絶すれば、さらに暴力を振われる恐れがあつたので、真実離婚届を提出する意思も離婚する意思もなかつたが、その場を収拾するため止むなく離婚届書の「氏名」、「世帯主の氏名」、「届出人」欄に自己の名前を記載し、控訴人が所持していた「甲野」の丸型印章を使用して「届出人」欄の署名下に押印し、次いで同席の山本キク、中山タキも「証人」欄に署名押印し、離婚届(乙第一号証)を作成した。その際、控訴人は、被控訴人に対し「約束状」と題する書面(甲第三号証)を渡した。右書面には、離婚することになつたこと、控訴人が子供全員の親権者になるが、長男と二女は被控訴人が養育すること、養育費として一ケ月四、五万円と各手当の三分の一を送金することが記載されていたが、右書面は控訴人が一方的に作成したもので、記載事項に関して具体的な協議がされたことはなく、ただ控訴人から別居期間中の生活費として一ケ月七、八万円送金する旨の話しがあつた程度で、被控訴人も右書面の内容を確かめることもせず、翌日母らと○○町へ帰つた。

(七)  ところが、控訴人は、前叙のとおり被控訴人に離婚届を提出する意思も、離婚する意思もないことを熟知していたのに、被控訴人に無断で同年一二月三日○○町役場○○支所に離婚届を提出する一方、離婚を確実なものとするため、離婚届の提出は秘して道立○○病院に入院中の有力者に仲介を依頼し、同月一〇日同病院で控訴人、被控訴人、控訴人の上司等関係者が集まつて話し合いがなされたが、結局物別れに終つた。被控訴人が控訴人による離婚届の提出を知つたのは、同月二〇日過ぎのことであつた。

2  以上の点に関し、原審・当審における控訴人本人尋問の結果中には、被控訴人は離婚届書に署名した当時真実離婚の意思があり、同席者からも離婚を勧められた結果署名押印したものであつて、前記「約束状」もその際の具体的な話し合いに基づいて作成されたものであるとの供述部分があるが、前顕各証拠と対比してたやすく採用できず、他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

3 前記認定事実によると、被控訴人には協議離婚届書の作成及び届出当時、離婚の意思は全くなく、離婚届書の署名も前記認定の事情からその場の険悪な事態を収拾するための方便としてなされたものに過ぎず、一方控訴人も右被控訴人の意思を知悉していたのであり、両者間に協議離婚の合意が成立したものとは認められない。従つて、右届出による協議離婚は無効であるといわなければならない。

二よつて、被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であつて本件控訴は失当であるから、民事訴訟法三八四条により本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(安達昌彦 渋川満 大藤敏)

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